金沢多美さん/ピアノデュオ/イスラエル

金沢多美さん プロフィール

金沢多美さんプロフィールー

ピアノデュオで活躍中の金沢多美さん
ピアノデュオで活躍中の金沢多美さん

東京都出身。国立音楽大学付属高校卒業。リュエイユ=マルメゾン地方音楽院、パリ国立高等音楽院卒業。ヨーロピアン・モーツァルト財団から奨学金を得てモーツァルト・アカデミーで研鑽を積む。96年にイスラエル人ピアニスト、ユヴァル・アドモニーとデュオ結成。以来、数々の国際コンクールで優勝。2000年東京国際ピアノ・デュオ・コンクール第1位、2001年ローマ・ピアノ・コンクール、デュオ部門第1位受賞、2002年イブラ・グランド・プライズ優勝。2005年大阪国際室内楽フェスタでメニューイン金賞獲得。2008年グリーグ国際ピアノ・コンクール・デュオ部門第1位受賞。2008年にイスラエル文化省より「文化大臣賞」を受賞。現在デュオは、イスラエルを拠点に演奏活動。アジア音楽祭、ブダペスト春の音楽祭、バード・ヘレンハルプ音楽祭、オデッサ・ディアローグ、イスラエル音楽祭等から招聘。イギリスBBC放送、NHK、よみうりテレビ、イスラエル国営放送、BNRブルガリア放送、ブダペスト国営放送等に出演。2008年7月にナクソスからリリースされたリストの交響詩(2台ピアノ版)4曲を収録したCDは、世界各国で放送され、国際的に高い評価を得ている。デュオはイスラエルの芸術高校で教鞭を執り、ピティナ(日本)、韓国国立芸術大学、ノルウェー国立アカデミー等でマスタークラスを行い、後進の指導に力を注いでいる。



-最初に、簡単に略歴を教えてください。

金沢 幼い頃住んでいた所の近所にピアノの先生がいらっしゃって、当時子供がピアノを習うという流行があったこともあって、そこで兄が習い始め、後に私も4歳くらいから習い始めました。それから国立音大付属の小学校に入学しまして、付属の高校まで進みました。高校卒業後パリに留学し、最初の2年間はパリ郊外のリュエイユ=マルメゾン地方音楽院で勉強をし、その後、パリ国立高等音楽院に入学しました。卒業後、進路を迷っている時に、偶然ヨーロピアン・モーツアルト財団のモーツアルト・アカデミーのポスターを見つけたので、そこに申し込んで、奨学金を頂き、プラハで1学期、クラコフで1学年在籍しました。そこで(現在の夫である)イスラエル人のピアニストと知り合い、これからピアノ・デュオでプロとしてやっていこうと決めました。翌年、カナダのバンフ・センターという、プロを目指す人やプロとして活動する人がプロジェクトに専念するために滞在する芸術センターで、デュオを結成するため1年程滞在しました。そこでレパートリーを増やすことに取り組み、コンサートに出演し、録音もしました。それ以来、デュオを専門に演奏しています。98年からイスラエルに住み、演奏活動の他、高校で室内楽やデュオを教え、プライベートではソロのレッスンもしています。

-小学校から音楽の学校に通われましたが、それはご自身の希望ですか?

金沢 いえ、それは自分の意思ではなく、母に“手に職を持つべきだ”という考えがあって、音楽学校に行ったらいいのではないか、と思ったそうです。女の子だし、芸術に触れさせようという考えで、最初から音楽家にしよう、と考えていたわけではないと思いますが……。

-ご自身は普通の公立学校ではない学校に通うことに抵抗はありませんでしたか?

金沢 そうですね。まだ物心もついていませんでしたし、私の小さい頃は“お受験”のようなこともなくのんびりとしていたので、私も何の準備もないまま受験しました。幼稚園を休んで、入試に行ったのですが、“幼稚園を休んでまでどこに行くんだろう?”って思っていました(笑)。

-そうすると、気がついたら音楽の小学校にいた、という感じですね。

金沢 ええ、そうですね。

-その後、高校までピアノを習われていたそうですが、ご留学を考えたのはいつ頃ですか?

金沢 小さな頃から、クラッシック音楽や西洋文化に憧れを抱いていて、ヨーロッパに住んでみたいという夢がありました。小学校の頃のピアノの先生が、ウィーンに留学された方だったのですが、その先生のお話を聞いて、いつかは必ず行きたいと思っていました。音楽系の学校にずっと通っていたので、大学まで進み、卒業したら留学をして……と思っていたのですが、ヴァイオリニストの叔母がいまして、その方に高校3年生のときに相談をしたら、「早く行った方がいいわよ。高校を卒業したら、もう留学したほうがいい」と言われました。そこで、さすがに悩みましたが、両親も私の意思を尊重してくれたので、チャンスがあるなら高校を卒業したらすぐに留学したいと思いました。

-そのとき不安はありませんでしたか?

金沢 もちろん不安はありましたが、それ以上に周りが理解してくれて、行かせてもらえるというこの素晴らしいチャンスへの喜びのほうが大きかったです。

イスラエルで活躍中の金沢さん
イスラエルで活躍中の金沢さん

-フランスを選ばれたことには何か理由があったのですか?

金沢 私の場合、前もって国の音楽事情を調べた末選んだわけではなく、叔母が「私の知り合いがいるから」ということで、フランスに決めたんです。パリはピアノを勉強するのにいい所だし、生活も私がある程度アレンジするからそこに行きなさい、と勧められました。

-そうすると、その叔母さまがほとんどオーガナイズしてくださったんですね。

金沢 始めのうちはそうでしたね。言われたのでそこに飛び込んで行ったという感じです。

-では、留学前に先生に会ったり、レッスンを受ける機会はなかったんですね。

金沢 そう、なかったんですよ(笑)。叔母を100%信頼していましたね。いまどき、こんな方、いらっしゃらないですよね(笑)。

-そうですね(笑)。やはり先生との相性というのもあると思うので……。

金沢 そうですよね。でも、叔母の言葉だけを信じて行ったのですが、始めに入学したリュエイユ=マルメゾン地方音楽院でついた先生は、パリのコンセルヴァトワールを引退なさったルセット・デカーヴ先生という方で、昔はマルグリット・ロンの弟子で、後に彼女のアシスタントを務め、現在のパリの教授達を皆教えたような大御所の先生だったんです。そういうフランス派のピアノ奏法の真髄のような方に教わることができて、本当に幸運だったなぁ、と思っています。

-実際に受けてみて、相性はばっちりだったんですね。

金沢 ばっちりというか……、かわいがっては下さいましたし、私もまっさらの気持ちで行ったので、先生の仰ることなら、と一生懸命勉強していました。留学の形やキャリアの成り立ち方というのは人それぞれですから、こんな乱暴な留学をした人もいたんだ、とご参考になれば嬉しいです(笑)。

-その後、パリ国立高等音楽院に進まれたわけですよね。

金沢 そうですね。デカーヴ先生の勧めもあって、そうしました。

-パリ国立高等音楽院というとヨーロッパではトップクラスの学校ですが、当時の入試の様子など覚えていらっしゃいますか?

金沢 二次試験まであって、一次試験はプログラムAとプログラムBを用意することになっていました。プログラムAはショパンのエチュード1曲とクラッシックまたはロマン派の任意の曲を1曲、Bは別のショパンのエチュード1曲と近代の曲を1曲。それで試験の場で、どちらかのプログラムを弾くよう、審査員から指示がありました。

-当日までわからないんですね。

金沢 そうですね。どちらが当たるかはその場まで分からないので、どちらも用意しておかなければいけませんでした。それが一次試験で、その2週間後に二次試験があるのですが、課題曲は二次試験の1か月前に発表されました。なので、その1か月の間に二次試験の曲も完成させておかなければいけない。私達が入学した年は、バッハのフーガ、ショパンのインプロンプチュ2番、プロコフィエフのソナタ2番の2楽章が課題曲でした。その他に初見のテストがあり、その年はフルートとのアンサンブルでした。

-倍率もものすごいですよね。

金沢 そうですね。競争は厳しいですね。だいたい300名ほど受けて、受かったのが16名でした。でも、フランス人の中にはダメだったらまた来年、と何年も何年もかけて受験する人も多くいました。

-パリ国立高等音楽院の先生探しはしましたか?

金沢 私の場合は、その前にリュエイユ=マルメゾン地方音楽院にいて、デカーヴ先生についていたので、その先生が紹介して下さったブルガリア出身のヴァンシスラフ・ヤンコフ先生という方のクラスに入りました。最初の3年間ヤンコフ先生についた後、先生が引退なさり、引き続いて就任されたパスカル・ドゥヴァイヨン先生に2年間ついて勉強しました。お二人は全くタイプが違いますが、それぞれ素晴らしい演奏家で教育者でもあり、こういった方々について学ぶことができたのはとても恵まれていたと思います。

-当時、日本人の方はどれくらいいましたか?

金沢 結構いましたよ。例えば、私の入った年はピアノ科で日本人が多く、4人いて、他の楽器では、ヴァイオリン一名、フルート一名、ハープ一名、ギター一名いました。他の学年にもピアノ科の他にも弦楽器、管楽器や、作曲科に何人かいて当時から日本人に人気のある学校だったと思います。

-小学校から高校まで日本で音楽を習ってらして、その後、いきなり海外のレッスンを受けたわけですが、日本との違いで驚いたことはありましたか?

金沢 そうですね。驚いたというか感銘を受けたのは、音の響きや音の質に大変繊細な感覚をもって音楽と接し、またそれを具体的に生み出すためのテクニックを教えて頂いたことや、曲の構築性や様式について西洋音楽という自分達の文化として身についていることを教えて下さったことです。特にフランス音楽を勉強したときは、自分達の普段使っている言葉のように自然に知っていることを伝えて下さった、という感じがしました。デカーヴ先生は私が習っているときは既に80歳を越えていたので、フランス音楽の作曲家と直に交遊があったり、それこそフォーレとロマンスがあったようなんです(笑)。それくらいフランス音楽と身近な人達から、教わることができて、そのエッセンスに触れることができた気がします。それはやはり日本では得られなかったことだと思います。あと私にとっては、先生が国際的演奏活動をなさっていて、その現役の演奏家に教わることができる、ということにすごく感動して、実際に演奏されている方からアドバイスを受けると、より実感がわいて信頼できました。

-プロの音楽家として活動されようと思ったのは、この頃からですか?

金沢 漠然とですが、音楽を自分の職業にしていくんだろうな、と思い始めたのは、中学校、高校の頃からだと思います。ただ、どうやったら音楽家になって、それを仕事にできるのか、ということがよく分からなかったですね。パリに来た頃も、よしこれでやっていくんだという決意はありましたが、具体的にどうしていけばいいのかは、分からないままでした。

-ご留学して、より具体的になったりはしましたか?

金沢 才能がある人は沢山いるし、皆が夢を抱いているので、音楽で成功するというのは厳しい世界ですよね。ただ、その頃から私はアンサンブルに向いているな、と思ってはいました。

-そうなんですね。それは、どうしてですか?

金沢 舞台に立つときに一人ではない、ということが心強かったですし、人と合わせて一つの結果にするという作業が楽しくて、それが自分の性分に向いていると感じていました。

イスラエル文化大臣賞授賞式にて
イスラエル文化大臣賞授賞式にて

-現在は、ご主人と2台のピアノ・デュオで活躍されているわけですが、最初にデュオを始めたのはいつからなんですか?

金沢 実は、彼と出会うまではあまりデュオの経験がなかったんです。連弾は小さな頃から弾いていましたが、デュオはあまり経験がなく、どちらかというと他のアンサンブルのほうに興味がありました。でも、彼と恋をしてカップルになって、自分たちはこれから一緒に生活していくという確信があって、そこで、2人ともピアニストとして別々にキャリアを積むよりも共に力を合わせてやっていこう、という考えが彼にあり、デュオとして活動していくことになりました。

-ご主人も金沢さんと出会う前は、あまりデュオの活動をされていなかったんですか?

金沢 そうですね。ただ、彼のほうが少し経験はあったそうです。彼はテル・アヴィヴ大学やロンドンのロイヤル・アカデミーで勉強していた頃、デュオを弾く機会があって、このジャンルの可能性を信じていたようです。

-素敵ですね(笑)。

金沢 いえいえ、実質的なところもあるんですけど……(笑)。

-今までこんなにデュオで活動されたことはない、とおっしゃっていましたが、ソロとの違いやデュオならではの難しさはどんなところにありますか?

金沢 技術的なところで言えば、ピアノは複数の声部を奏でる楽器ですよね。その声部の音色を弾き分けることで、オーケストラのように弾くこともできるわけですが、それが2台になると、声部も倍になるわけです。だから、弾いている時に、自分はどの声部を押しているのか、バランスはどうか、ということを常に意識しなければいけません。そうしないと、ただ音が氾濫しているという状況になってしまうんです。遠近感を持たせるということにすごく気を使います。それは、他の室内楽でも言えることですが、特に同じ楽器でこれだけテクスチュアが厚いと、一つ一つの声部の音量、音質、キャラクター、タッチに意識を集中させて弾かなければならないのです。それは、その分自由さがないと言ってしまえばそうかもしれませんが、自分達で何を築いているのかきちんと分かっていれば、素晴らしい結果が生まれます。2人で作り上げていく作業は、本当に煩雑ですが……。

デュオコンサート
デュオコンサート

-その分、お相手が旦那さまなので、スムーズではないのですか?

金沢 うーん……、皆さん、そうおっしゃってくれるのですが、やはり、仕事に対してはとても厳しいですね。仲良くというわけにはいきません。怒られたり、怒ったり……(笑)。やはり、作り上げて行く作業は、試練があって当然ですよ。でも、私たちはプライベートでもわりと演奏のことに没頭しているので、これで2人が別々のキャリアに進んでいたら、逆に接点がなかったかな、と思うので、2人で一緒に目指すことがあってよかった、と思っています。

-イスラエルの音楽事情を教えてほしいのですが、クラッシックは盛んなところなんですか?

金沢 イスラエルというと日本では紛争の国、危険な所、というイメージがあるかもしれませんね。イスラエルは、中近東に位置するユダヤ人国家で、国家としてはまだ60年しか経っていません。国家としては若いですが、4000年もの歴史があり、ご存知の通りキリストが生誕した所であり、何千年もの離散の末戻って来たユダヤ人の築いた国です。クラシック音楽事情に関しては、ヨーロッパ各国や旧ソ連の各国から移民して来た人達が築いた土壌がきちんとある所なんです。なので、オーケストラもあれば、ホールもあるし、教育システムもきちんとある国です。特に90年代のソビエトの崩壊で、旧ソビエトから多くの音楽家も移民して来ました。そういうこともあって、音楽のレベルはすごく高いと思います。

-ロシア系の音楽がどちらかと言えば、盛んなんですか?

金沢 ロシアだけでなく、ハンガリー、ルーマニア、ポーランドなど、どちらかというと東ヨーロッパの方々が多いですね。ユダヤ人が大半ですが、そういった彼らの優れた特性に触れることができるのもイスラエルならではだと思いますし、それはとても幸せなことだと思います。

-オーケストラも沢山あるんですか?

金沢 そうですね。一番有名なのは、来日公演もするイスラエル・フィルだと思いますが、他にもオーケストラは沢山あります。

-今後、イスラエルのオーケストラに入団したい、という方がいらっしゃるとしたら、比較的簡単に入れるものなのでしょうか?

金沢 どうでしょうか。イスラエル・フィルは、空きがあるとオーディションを開いていますので、海外から来てメンバーとして演奏していらっしゃる方もいますね。

Image-音楽学校は沢山あるんですか?

金沢 大学、アカデミーに属する音楽学校は、テル・アヴィヴにあるテル・アヴィヴ大学ブッフマン・メータ音楽院とエルサレムにあるルービン音楽アカデミーがあります。あと夏期講習では、ニコライ・ペトロフなど有名な先生が教えに来るピアノのマスタークラスがあり、シュロモ・ミンツが主催しているヴァイオリンの夏期講習もあります。

-それは毎年、開催されるんですか?

金沢 そうですね。よかったら、是非、イスラエルにもいらしてください。

-そうですね、留学を考えている人の中にはイスラエルが気になっている方もいらっしゃると思います。

金沢 日常生活は非常にのんびりしたところもあって、危険なところを除けば、普通に生活もできるので、是非、考えてみてほしいですね。

-今後、夏期講習だけでなく、アカデミーに留学されたい方も出て来るかと思うのですが、受験状況はどのような感じでしょうか?

金沢 入学するのは、それほど大変ではないと思います。ヨーロッパのように留学生も沢山いて……、という環境ではないですし、あまりレベルが高くない人から既に演奏活動をされている若手の方もいます。先生と縁があれば、イスラエルへの留学も良いと思います。

-アカデミーに通われているのは現地の方が多いのですか?

金沢 そうですね。でも、多くはありませんが、テル・アヴィヴの大学は上海の大学と交流があるようで、常に何人か中国からの留学生もいますし、ヨーロッパからの留学生もたまにいます。実は、今年度ヴァイオリン科に日本からの留学生も一人いるんですよ。

-ちなみに、この音楽アカデミーに入るには語学の証明は必要ですか?

金沢 現地は、ヘブライ語ですが、英語ができれば問題ないと思います。普段の生活でもヘブライ語ができなくても、英語ができればあまり困ることはないと思います。

Image-日本人がイスラエルで演奏家として活動するにあたって、有利な点や不利な点は何かありますでしょうか?

金沢 有利な点というか……、ありがたいことに日本のイメージというのは悪くはないし、政治的にもイスラエルと摩擦があるわけではないので、温かく受け入れて下さいますね。最近では、漫画などのサブカルチャーやお寿司なども人気があります。そういう意味で興味を持ってくださるので、溶け込みやすいですね。不利な点は、日本人だからというわけではありませんが、新しく入って来た人間として、前からある音楽や仕事の輪に入っていくのは大変でした。そこにうまく認めてもらって、入れてもらうのは、後から来る者には少々不利というのはしょうがないですよね。

-それはイスラエル人の国民性というか、気質から来ているのでしょうか? 仲間意識が強い、といったことは感じますか?

金沢 そうかもしれません。何せ小さな国なので、皆が皆を知っている、という “村”のような感じがあります。でも反対に打ち解けてしまえば、顔パスというか、コネが効いてしまう社会で、例えば「洗濯機を買おうかな」と言うと、「僕のおじさんの近所に住んでいる人のいとこがそういう仕事をしているから、買わないでそこに行け」と言われたりするんです(笑)

-面白いですね。

金沢 やっぱり、ドイツやフランスといったヨーロッパではそうはいきませんよね。やはり、キャリアを築くということを考えると、そういうこともすごく重要だと思います。1人で仕事をしていけるわけではないので、そうやって人の輪に入って、継続させていくということが必要になってくるんです。そういうことって、学校では教えてくれませんし、私達も試行錯誤を繰り返して、身に付いていったことですが、やはり、人の繋がりというのはすごく大切だと思います。それは与えてもらうだけではなく、自分が与えてもらったら、今度は与えてあげる、音楽の世界であっても、そういうギブ&テイクで成り立っている、人間の営みであるということを分かってしまうほうが楽なんですよね。だから、表面的なお付き合いでない人間関係を築くことが大事だと思っています。

-ところで、今回の金沢さんのお話を読んで、イスラエルに対するイメージが変わる人も多いと思うんですよ。

金沢 そうだといいですね。やはり、知られていないということが残念です。これだけクラシック音楽のレベルや密度が高い国だということを皆さんに知ってほしいですね。ヨーロッパからなら4時間くらいで来られますし、ユダヤ人の音楽に直接触れてみたいという方は、是非来て頂きたいと思います。

Image-今後の音楽家としての目標を教えていただけますか?

金沢 ピアノ・デュオが自分達のアイデンティティのようになっているので、これからもデュオとして、レパートリーを増やし、演奏し続けたいです。また、このメディアをより浸透させるため、フェスティバルやマスタークラスなど開催し盛り上げていけたらな、と思います。それから、イスラエル音楽の演奏や初演など今までもやってきたことですが、これからも作曲家の方達とコラボレーションしていきたいと思っています。やはり一緒に創造する意義とその喜びがあるので。彼の方は、いずれ作曲も手がけたいと考えているので、彼の曲を二人で演奏するコンサートが未来像になっています。

-金沢さんご自身はいかがですか?

金沢 実際、演奏についての目標ですが、フランス人女優のジャンヌ・モローがインタビューで言っていたのですが、役に入っていく時は、自分を空にして、中にエネルギーが流れる管のようになると例えていました。それを聞いて、あぁなるほどな、と思いまして、私も演奏する時は、そういう境地でいたいと思いました。エネルギーがよどみなく流れる管、媒体でありたいと思ったんです。そういう気持ちで演奏できるときもたまにあって、そういう時は、あぁ良かったと思えるんですよね。

-最後にこれから留学を考えている方にアドバイスをお願いします。

金沢 今は留学に関する情報も沢山あって、気軽に海外にも行けて、逆に海外から日本に先生もいらして講習も受けやすい環境なので、皆さん、よりスマートに選択されて留学なさる方が多いと思うんです。でも例えば、留学先で希望の学校に入れなかったり、卒業できなかったり、希望の先生につけなかったり、ついてもレッスンをあまりしてくれない、という予想できないことが起きる場合もあります。はっきりしたプランがあるのは結構だと思いますが、そういう壁にぶつかってしまったときに、臨機応変に対応して、プランと違っても大丈夫、という気持ちを持ってほしいです。自分の希望や目標を大局的に見ることが大事だと思います。そういう時に、しっかり自分と向き合って、考えて悩み抜くということがいい経験になって、人間が生きのびていく力というのが養われていくと思います。一人で悩むだけじゃなくて、助けを求めることも力のひとつだと思いますし、恥ずかしがらないで、めげないで、予定と違ってもいいんだ、と。

-なるほど。

金沢 それから、留学というのは、一時的な講習会と違って、そこに住んで生活をするということなので、現地で出会う人達とのコミュニケーションするということを大切にしてほしいと思います。私自身、日本を離れて久しいですが、日本人というのはコミュニケーションに対して、気を回すことが上手だけど、その反面、依存心が強い気がします。空気を読む、というのは本当に日本人らしい表現で、空気は読めないものなんですよ(笑)。やはり、わかってもらえない時はわかってもらえないような表現しかしていない、ということなので、そういう責任感を持って、コミュニケーションをとってほしいと思います。それは、語学力の有無ではなくて、伝えたい意思があるのかが、重要だと思います。心から語りかければ、イスラエルでもフランスでもどこの国に行っても返ってくるものはあるし、人と繋がる喜びというのはあります。自分がそこに一時的に留学をして、何かを学んで帰る、与えてもらう側だけだというのではなく、自分も何かを与えられる存在で、きちんと交流ができるという認識をもって留学をしてほしいなと思います。

Image-ありがとうございます。最後に、成功の秘訣があれば、教えていただけますでしょうか。

金沢 偉そうにいうほど成功していませんが(笑)、失敗の連続で覚えたことをお話させて頂きますね。音楽を職業にしている方というのは、音楽大学やアカデミーを卒業した方が多いと思います。そういう学校を出て、スムーズにキャリアが築けるのが、いいに越したことはないと思いますが、そうでなかった場合、知恵を絞って、自分なりのクリエイティブな戦略を持ちかけるくらいの姿勢でいなければ、何も起こらないと思います。私も若い頃は依存心が強くて、きちんと弾けていればいいことがあるんじゃないかと夢見ていたのですが、ある程度戦略を持って、アグレッシブに仕掛けていかないとダメだと思います。具体的に言うと、コンクール、コンクール……というと嫌かもしれませんが、やはりコンクールで採った賞をマスコミ伝えて話題を作ったり、あまり使われていないホールを見つけて、市町村の人にかけあって、自分の巣にしてしまう、とかね(笑)。

-えー! それは、金沢さんがされたことですか?

金沢 そうですね(笑)。イスラエルで。そうやって、自分の場所を作って、そこに知り合いの演奏家を呼ぶ。そうすると、向こうも貸しがあるということで、今度は彼の巣に呼んでくれる。そうやって、自分で知恵を絞って、どんどん発言権を身につける。自分でアピールして、売り込むのっていい気持ちはしないし、難しいことだとは思いますが、出しゃばらずエレガントな線を守りながら、謙遜もせず、自分の幅を広げていく。それからチャンスというのは、自分が準備万端に用意できたときに転がってくるものではなくて、いつ転がっているかわからないものだから、そういう時にいつでもぱっと心を開けるようにしておくのが大事だと思います。一期一会という言葉もありますし、そこでもじもじしていたら、本当にもったいないんですよ。

-本当にそうですよね。

金沢 そうやって、人と繋がりができて、依頼があったら、まずイエスと答えるようにしています。交渉などは彼がすることが多いので、彼の対応を見て学ぶことも多いんです。私はどうしても日本人的なんですよね。例えば、「6月にこういう曲を演奏してほしい」という依頼を受けると、その時期はあのコンサートも入っていたから手が回らないんじゃないか、とか、二股になってしまうんじゃないか、とか考えてしまって、「少し考えさせてください」と答えるのが誠実である、と思ってしまうんですよ。でも、そうではなくて、まずは、イエス。やりたいということを伝えるのが大事なんですね。その後で、曲は変えられるか、とか、日程の相談をすればいいんです(笑)。厳しい世界なのでハッタリでもいいから、まずは、熱意を伝えていくことが大事なんですよ。

-なるほど。

金沢 あとは、そうやって行動していても、断られ続けることもあります。でもそれは、あまり個人的に否定されていると考えずに、とにかく続けていくということが大切なのではないかと思います。失敗から学んだ事ですが、少しでも皆さんの参考になればいいな、と思います。

-はい。本当に今日は貴重なお話をありがとうございました。

金沢 こちらこそ、どうもありがとうございました。

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金沢多美さんの最新情報や演奏は下記ページからご覧になれます。
デュオのサイト:http://www.kanazawa-admony.com
ナクソスのアルバム:http://ml.naxos.jp/album/8.570736

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◆デュオ・アドモニー リサイタル◆
金沢多美 & ユヴァル・アドモニー
2台ピアノによるリスト交響詩 ~人間性のドラマを奏でる~
「オルフェウス」「理想」「前奏曲」「マゼッパ」
10月26日(月)19:00 開演 東京文化会館小ホール
一般 ¥4000(全自由席) / シニア・学生 ¥3000
チケット取り扱い: 
• チケットぴあ 0570-02-9999( Pコード331-570)
• 全日本ピアノ指導者協会(ピティナ) www.piano.or.jp/concert/support
• 東京文化会館チケットサービス 03-5685-0650
• IVSテレビ制作 03-5261-9545 (12:00~19:00土日・祝日を除く)
後援: イスラエル大使館/ (社) 全日本ピアノ指導者協会/ ナクソス・ジャパン(株)
助成: 財団法人日本室内楽振興財団
お問い合わせ: IVSテレビ制作


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