千々岩英一さん/ヴァイオリン/パリ管弦楽団副コンサートマスター/フランス・パリ

千々岩英一さん プロフィール

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はフランスでパリ管弦楽団副コンサートマスターとして、パリ地方音楽院およびパリ市立音楽院教授としてご活躍中の千々岩英一(チヂイワエイイチ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2009年3月)


ー千々岩英一さんプロフィールー

パリ管弦楽団副コンサートマスター
パリ管副コンマス千々岩英一さん

東京芸術大学音楽学部附属音楽高校を経て同大学を卒業後、フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院に学び、審査員全員一致の一等賞を得て卒業。田中千香士、数住岸子、ピエール・ドゥカン、オリヴィエ・シャルリエ、フィリップ・ヒルシュホルン、ワルター・レヴィンの各氏に師事。1998年よりパリ管弦楽団で副コンサートマスター。パリ国立地方音楽院およびパリ市立音楽院(パリ13区モーリス・ラヴェル音楽院)教授。ソリストとしてドナウエッシンゲン音楽祭(ツァグロセク指揮フランス国立管弦楽団)、パリ・シャトレ座のパリ管弦楽団定期演奏会、東京シティフィルハーモニック管弦楽団の定期演奏会などに出演した他、室内楽奏者としてベルリン芸術週間、「パリの秋」音楽祭、ルーヴル、オルセー美術館室内楽シリーズ、イギリス・オールドバラ音楽祭など多数演奏。CDはスカルコッタス作品集 (Bis) 、ノーノ、ラッヘンマンの弦楽四重奏曲(仏Assai)、マルク・アンドレ・ダルバヴィの協奏曲(エッシェンバッハ指揮パリ管、仏Naive)などが出ている。


-初めに簡単にご経歴をお願いします。

千々岩 1969年に東京に生まれ、5歳からバイオリンとピアノを始めました。10歳からバイオリンに専念するようになり、東京芸大の付属高校、東京芸大と進み、その後、パリ国立高等音楽院に留学しました。音楽院在籍中にパリ管弦楽団の副コンサートマスターになって、今年で11年目です。

-バイオリンを始められたきっかけは何ですか?

千々岩 はじめにピアノを習った先生のお姉さんが、芸大をオーボエ専攻で出た方だったんですが、バイオリンも教えておられていたんです。それで、せっかくだから両方習ったらいいのではないか、ということで、始めました。僕は、習い始めてすぐに、「自分はピアニストになる」と決めていたんですが、8 歳くらいのときに、ピアノの先生から、「ピアノで食べていくのは難しいから、バイオリンに専念したほうがいいのでは」と言われて、バイオリニストの先生(小林久子氏)について仕方なくバイオリンに集中するようになりました。

-そんなに早くからプロになる道を考えていたんですね!

千々岩 音楽家の家系ではないのですが、父親も母親もとても熱心でした。音楽に憧れがありつつも自分ではできなかったという想いがあったのだと思います。僕自身、バイオリン、ピアノに関わらず、小さい頃から音楽がとても好きだったので、「これを職業にしたい!」と思ったのも、だいぶ早かったですね。

-それでは、8歳のときに先生から「ピアノでは食べていけないわ」と言われたときは、ショックでしたか?

千々岩 先生(平尾はるな氏)はパリ音楽院で勉強されて、プロの世界をよく知っている方でした。先生からしたら、男がピアノでコンサーティストをやっていくには、よっぽどの飛び抜けた才能がないと難しいと感じたのではないでしょうか。その点、バイオリニストなら、オーケストラでも弾く機会があるので可能性があるのではないか、という話だったんです。もっともそのころはオーケストラなんて、TVで見るくらいで生で聴いたこともないし、興味ありませんでしたが。

-そこからは、もうバイオリンを中心に学んでいかれたのですか?

千々岩 そうですね、10歳からはバイオリン一本でした。ピアノは高校の副科で再開するまでは先生には付かず、自己流で弾いていた程度でしたが、今でも、本当はピアニストになりたかったという恨みは残っています。やはりレパートリー的には魅力的な楽器ですから。ピアノをあきらめたときは悲しくて激しく泣いたことをいまだに覚えています。

-パリにご留学されたのは何歳のときですか?

千々岩 大学の四年生のときです。卒業するまで待つとパリ国立高等音楽院の年齢制限に合わなくなるので四年の秋に入試を受け、その時には芸大の必修単位は卒業試験以外ほぼ取り終わっていたので、半年間のうちに数回パリと東京を往復して芸大も卒業しました。

-ご留学を考えるようになったのは何歳のときですか?

千々岩 国際コンクールを受けるために、18歳のときに初めてヨーロッパに渡ったときにヨーロッパの文化に初めて接し、その空気の中で生活したいという気持ちを強く持ったんです。それから、講習会などに参加するようになり、留学を具体的に考えるようになりました。

-初めからフランスへの留学を希望されていたんですか?

千々岩 最初はロシアへの留学を考えていて、大学時代はロシア語も学んだりもしていました。ところが、当時のロシアでは、留学の学生ビザが下りなかったんです。他の可能性を考えたときに、初めて教わったピアノの先生や大学でのバイオリンの先生(田中千香士氏)がパリに留学されていたこともあってフランスには親近感を覚えていたので、ロシア以外だったらフランスを留学先として自然に考えるようになりました。

-どのように師事する先生を探されたんですか?

千々岩 国内の講習会で、ピエール・ドゥカンというパリ国立高等音楽院の教授と知り合いまして、留学を大学3年と4年の間の春休みに決めました。パリのオペラ座のコンサートマスターを長く勤められた方で、講習会で接した演奏も素晴らしく、留学が決まったときはとても嬉しかったです。東京では壁にぶちあたっていたので、心機一転、いちからやり直す気でした。

Image-パリ国立高等音楽院というとトップレベルの学校ですが、入試はどんなものでしたか?

千々岩 年齢制限があって、バイオリンの受験資格は22歳までだったんです。僕は、当時2か月ほど22歳を超えていたので本来なら資格がなかったのですが、先生が音楽院と交渉してくださったんです。その結果、特別に許していただいて入試を受けることができました。フランスの場合、なにか規則に引っかかって実現が無理なように見えても、交渉次第でなんとかなることがよくありますね。入試は、そんな事情もあったので他の受験生がだいぶ若く見えました。

-留学前にフランス語の勉強はされていたんですか?

千々岩 大学の第一外国語をフランス語でとっていました。学校で学ぶフランス語は文法中心で、会話のテクニックはほとんどこちらに来てから覚えたという感じです。

-そうすると、入学後に語学の面で少し苦労されましたか?

千々岩 フランス語はなかなか発音が難しくて、自分では文法的にきちんと話しているつもりでも、通じていないことがあったり(笑)。いまではパリ音楽院の入学資格の条件のひとつにフランス語能力もあるようですし、当時の音楽院のカリキュラムでは、フランス語を習う時間というのはまったくなかったので、友だちと会話する中で、実地で学んでいったという感じです。

-ご留学後、日本の音楽とフランスの音楽で感じた違いは何でしたか?

千々岩 日本だと、合奏をしてもまず縦の線を常に意識するところがあると思うんです。パリ音楽院の選択授業でグレゴリオ聖歌を一年間やったときに、横に流れていく音楽を実感しました。そのとき特にフランスでは、縦の動きよりも横の動きへの志向が強いのかもしれないということを肌で感じました。

-フランスの音楽というのは、色彩的できらきらしているイメージがありますものね。

千々岩 そうですね、それはドビュッシーやラヴェルが活躍した時期が、印象派絵画の最盛期だったのでそれらが短絡的に結びついて、フランス音楽イコール印象派という先入観をあたえるからかもしれないですね。僕はとくにフランスものだけが色彩感が豊かというわけではないと思います。

-なるほど。パリ国立高等音楽院は何年間、在籍されていたんですか?

千々岩 いわゆる普通の大学のコースだと当時のカリキュラムとしては卒業のために最低3年、最高5年かかりました。そのあとに日本語に直訳すると完成科という課程がありました。その課程を直接受験することも考えたのですが、そこは大学院というよりもむしろディプロマコースのような感じで、バイオリンだけに専念するコースだったのであまり興味がわかなくて、まずは本科で3年間学びました。専門楽器のレッスン以外に楽曲分析、室内楽、オーケストラ、合唱(混声合唱、またはグレゴリオ聖歌)が必修、在学中にシステムが変わってオプションで指揮や即興、エクリチュール(書法)など興味に応じて単位を取ることができるようになりました。バイオリン科を卒業した後、バイオリンの完成科に2年いて、その後、カルテットで室内楽の完成科に2年いました。

-計7年の間、在籍されたのですね。

千々岩 日本を発つときから、将来はいずれフランスで仕事を見つけて食べて行こうと思っていたので、様子を見るためにもなるべく学校には長く在籍した方がいいなと思っていたんです。やはり、すぐに食べられるようになるわけではないし、学生をしながら少しずつ演奏活動をして、仕事に繋げていこうと思っていたんです。さいわい両親も協力的で、フランス政府の給費が三年で終わった後も援助を続けてくれました。結局、6年目にオーケストラに入って、音楽で食べて行けるかどうかとても心配していた両親を安心させることができたことが、何よりも嬉しかったです。

Image-一番最初からパリ管弦楽団ですか?

千々岩 はい。最初から今のポストで入団しました。

-すごいですね。フランスでオーケストラに入団したいと希望する方は多いと思いますが、履歴書を送って推薦状をもらってテストを受けられるという感じですか?

千々岩 ドイツなどはそうだと思いますが、フランスの場合は割ともっとオープンで、誰でも受けられるんですよ。例えば、オランダなど他のヨーロッパの国では、ヨーロッパの市民権を持っていないと受けられなかったりもしますが、フランスではそんなことはなくて、外国人でも誰でも受けることはできます。例えば、日本に住んでいて紹介状がなくても受けられます。要は楽器さえ弾ければ入ることができるんですよ。

-募集の情報は、どういったかたちで手に入れることができますか? 大々的に公表していますか?

千々岩 音楽雑誌に掲載されていたり、音楽院に行くと募集のポスターが掲示されています。あとは、今はインターネットで見ることができるようになっていますね。どのオーケストラのウェブサイトにも求人のコーナーがあります。

-千々岩さんが受けたオーディションはどのような様子でしたか?

千々岩 僕が受けたのは、ソリスト(首席)のオーディションだったので、受験者自体がそれほど多くありませんでした。一次でイザイの無伴奏ソナタ、課題のオーケストラスタディを弾いて、二次はブラームスのコンチェルト、さまざまなスタイルのオーケストラのソロ、三次試験でバッハの無伴奏ソナタとオーケストラスタディ、ソロを弾きました。パリ管で既にトゥッティで在籍しているひとが10人くらい一次免除で二次試験から加わったと覚えています。

-そもそもパリ管弦楽団のオーディションを受けたきっかけは何ですか?

千々岩 どうしてもパリ管に入りたかったというわけではなく、あと1年しか学校に籍を置けないことがわかっていたので、その
間にとにかく空いている席を受けないと、フランスを去らなければいけなかったんです。ですので、切羽詰まって仕方なく、ですかね(笑)。

-では、当時、他のオーケストラのオーディションも受けられていたんですか?

千々岩 オペラ座のオーケストラの第一コンサートマスターの席も受けました。そのときはうまく弾けなくて、途中で落ちてしまいました。そのちょうど2か月後が、まったく違うプログラムでのパリ管の試験でした。二回の試験の間にアパートで部屋の模様替えをしたときにギックリ腰になって一週間くらい動けなくて辛かったことを覚えています。オーケストラの募集について言えば、自分が受けたいときに自分に適した席が空いているかどうかわかりませんし、せっぱつまれば火事場の馬鹿力も出てくるし、運の善し悪しがかなりあると思います。

-ドイツではオーディションのときにカーテンがあるという話を聞きますが、パリ管ではいかがでしたか?

千々岩 ないですね。他のオーケストラでもあったりなかったりだと思います。そのあたりは、毎回変わると思います。

Image-例えば、日本人が有利な面や不利な面はありますか?

千々岩 試験官の立場で審査するときに、とくに人種差別があると意識したことはありません。ただ、先入観は働くでしょうね。日本人の場合、クリーンに弾ける以上に何かないと難しいとは思います。

-そうなんですね。

千々岩 受かっても、その後半年から一年の間、試用期間があるのですが、その間にアウトになる人もけっこういるんです。外国人だとコミュニケーションの問題がある場合が多いんですよね。

-なるほど。そういう意味で、演奏以外のパーソナリティも重要視されるんですね。

千々岩 そうですね。パーソナリティと言われても、何をしていいか分からないから、本人は結構きついです。フランス人の場合、初めにエキストラで弾いて、ある程度オーケストラ独自の雰囲気が分かってから試験を受けて入ることが多いと思うんです。エキストラに呼ばれるためには一度入団試験を受けて好成績を残したり、先生からの紹介などが必要になります。僕の場合は、オーケストラの中に一人も知っている人がいなかったので、心細い感じはありました。ただ、その前にフランスの現代音楽のアンサンブルで仕事をしていたので、そこでの経験がオーケストラに入ったときに役に立ちましたね。それがなかったら、多分、中に入っていくのが難しかったのではないかなあと思います。

-今では、パリ管弦楽団の仕事の他に、パリ地方音楽院、パリ市立音楽院でも指導されているんですよね?

千々岩 はい、パリ地方音楽院(CNR改めCRR)は3年前にパリ管の首席コンサートマスターのドガレイユさんのポストを引き継ぎました。また、パリ市の音楽院でも教えています。パリ市には20区まであって各区に音楽院があるのですが、13区で指導しています。ここはパリのなかでは規模、レヴェルともに一二を争う学校のようです。

-いろいろな国の生徒さんに教えてらっしゃるのですか?

千々岩 日本人の生徒さんもいます。CRRは初めたときは6人生徒がいたのですが、そのうち3人が日本人で、あとはフランス人が2人、アメリカ人が1人でした。市立音楽院ではフランス人4人。

-アメリカ人の生徒さんに教える場合は、授業は英語ですか?

千々岩 いえ、フランス語です。英語は以前にくらべて話せなくなってしまいましたね。話してもフランスなまりの英語になってしまいます(笑)。

-今でも日本人の生徒さんは多いのですか?

千々岩 どこかの音楽院に登録して滞在許可をもらっている学生が、プライベートで僕のところにもレッスンを受けにくるという感じです。最近は、日本人に限らずオーケストラの入団試験の準備に来る人も多いです。

-なるほど、なるほど。

千々岩 せっかくフランスに来るのですから、フランス人の先生にフランス語で習うというのは、妥当なことだと思います。フランス人の先生とフランス語で話すというのは大切なことなんですよ。フランスに来てレッスンだけの学校に入ると、グループレッスンでもないかぎり音楽の話をフランス語でする機会というのが極端に少なくなってしまうんです。フランス人は、わりと排他的で、外国人の友だちを積極的に作りたいと思っている人はあまりいません。こちら側から積極的に話しかけていかないと、なかなか向こうからは仲間に入れてくれません。

-千々岩さんはどうされていたのですか?

千々岩 僕の場合は、室内楽をフランス人と演奏することで、だんだんと人の輪が広がっていった、という感じです。

Image-千々岩さんにとって、音楽とは何でしょうか?

千々岩 僕にとって音楽はコミュニケーション・ツールです。フランスに来たばかりで、言葉が出来ない頃でも、音楽を通してだったらコミュニケーションがとれているという実感はずっとありました。ですので、音楽も言葉の一つという意識が強いです。

-長い間、パリで活躍してこられたわけですが、これから先の目標があれば教えてください。

千々岩 実は、自分がやりたかったことは、もうほとんど実現してしまったんです。現代音楽をすることもできたし、カルテットをする夢もかないました。それから、コンチェルトを弾くという目標も果たすことができました。これまでに自分が積極的にしてこなかったことで言えば、録音を残したいなと思っています。自分の企画でアルバムを残したいですね。これが、外面的な目標です。もっと内面的なことで言えば、演奏の際に音楽とよりいっそう一体化できるように、深めていきたいと思います。

-最後に、留学を考えている方にアドバイスをお願いいたします。

千々岩 自分で求めることがあれば、環境が整えば得ることができます。でも、何がやりたい、と具体的に求めることがないと、どうにもなりません。それは日本でも同じだと思います。とりあえず行けばなんとかなる、ということはありません。

-具体的にやりたいことを定めてから留学をしたほうがいいということですね。

千々岩 言葉が通じないなど、外国に来ると壁が立ちはだかることもあるかと思いますので、そこで味わう辛さにくじけない強さが必要になってくると思います。今は、情報がかなりあふれている時代で、留学生のブログなどを目にすることもあるかと思います。そこに書かれているのを読むと、おいしいもの食べて、コンサート聴きに行って楽しそうだな、なんて思うんですが、負の部分は、なかなか目にすることができないのではないかと思います。また、留学をしたからといって、それでいきなり自分がグレードアップされるわけではないということも、肝に銘じておかなければなりません。

-千々岩さんご自身は、そういった留学後の言葉が通じない辛さはどうやって乗り越えられましたか?

千々岩 僕は、逆に日本にいる頃、居場所がない感覚を感じていたんです。だから、居場所をどうしても見つけなきゃいけないという思いで日本を出たので、言葉が通じないという状況に対して、あまり辛いとは感じませんでしたね。試練の一つと思っていました。ただ、振り返ってみると、僕は友だちに恵まれていたんです。外国人の友達、そして日本人の友達。よく「言葉を覚えるために、わざと日本人とは関わらないように努力する」なんて話も耳にしますが、僕は、日本人の友達もすごく大事だと思います。やはり苦労を共にする同志ですから。無理して排除するのは、気張っていて大変だなぁ(笑)と思います。

-偏らないのが大事ですね。

千々岩 本当にそうですね。若い生徒たちを見ていると、初めは友だちもいなくて、暗い顔をしているんですが、みんな伸び伸びとやっていますよ。それぞれ交流ができて、だんだん明るくなってくる、パリがだんだん自分の庭になってくる、それが目に見えて分かるんですよ。

-そういった精神的な成長とともに音楽も変わってきますよね。

千々岩 うん、それはあると思います。僕は日々を生きるうちに感じること、見聞きすることのひとつひとつすべてがフィルターになって音に表れると思います。個性というのは、無理矢理見つけなくても自分の中から滲み出てくるものだと思います。だから、普通に自然体でやっていくのがいいと思います。

-今日は本当に貴重なお話をありがとうございました。

注)パリ国立高等音楽院を目指す方は最新の情報を必ずご確認ください。2008年に改革がありカリキュラムが大きく変わっています。

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