田島高宏さん/ヴァイオリン/フライブルグ音楽大学/ドイツ・フライブルグ

田島高宏さん プロフィール

音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。

 

田島高宏さん
田島高宏さん

田島高宏さんプロフィール
仙台生まれ。4才よりヴァイオリンを始める。桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)を経て、桐朋学園大学を卒業。2001年4月〜2004年3月まで札幌交響楽団コンサートマスター。退団後、渡独。フライブルク音楽大学にて、ライナー・クスマウル氏に師事し、同大学卒業。イフラ・ニーマン、和波孝禧など各氏に師事。全日本学生コンクール東京大会奨励賞、日本室内楽コンクール第2位など多数受賞。ハンガリー放送響などと協奏曲を共演。小澤征爾氏率いるサイトウキネンオーケストラなどに出演。ヴィオリストのヴォルフラム・クリスト氏が音楽監督を務めるKKO(Kurpfälzisches Kammerorchester)に出演。室内楽でも、JTアートホールでのアフタヌーンコンサートや皇居桃華楽堂御前演奏、フライブルクやスペイン・マヨルカ島でのリサイタルなどに出演。和波孝禧夫妻らとフランクのピアノ五重奏をCD録音(アートユニオン社)。現在、ドイツ・フライブルグにて演奏活動中。

―  簡単な略歴を教えていただけますか?

田島 高校から大学にかけて桐朋学園でヴァイオリニストの和波孝禧先生に師事し、大学を卒業と同時に札幌交響楽団にて三年間コンサートマスターを務めさせて頂きました。その後、九月からドイツのフライブルク音楽大学でヴァイオリニストのライナー・クスマウル先生(編集注:フライブルク音楽大学教授、元ベルリンフィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)に二年間お世話になり、2006年7月にフライブルク音楽大学を卒業しました。今は、ドイツでいろいろな仕事をしたいので、職を探しつつ、これから先の進路を考えています。

―  ドイツに行かれるきっかけはどのようなことですか?

田島 高校生の時からずっと海外に憧れがありました。高校を卒業してから留学しようと考えたこともあったのですが、周りの人に相談した所「日本で勉強する事はもっとたくさんある」ということで、それでは大学卒業後に留学しようと思っていました。桐朋で仲間たちと切磋琢磨しながら勉強して、そろそろ先の進路を、と考えていたちょうどその頃、大学四年生の五月に札幌交響楽団の方から招待コンマスというお話を頂きました。和波先生に相談した結果、そんな話はなかなかないということで、その招待を受けさせて頂く事にしました。その後、大学を卒業して三年間、皆様にいろいろ教えていただきながら札幌交響楽団で演奏を続けていたのですが、だんだん自分の経験、技術などの「貯金」の少なさを思い知らされるようになってきました。それと同時にヨーロッパで生活してみたい、あわよくば職業としてヨーロッパに残ってみたい、という想いも一層強くなってきました。「何事も石の上にも三年」の一念で、札幌交響楽団で頑張っていたその二年目頃に、つきたかったロンドンの先生が亡くなってしまいましたので、その後の進路を迷っていました。しかし、仕事を辞めないと動けないと考え、札響三年目の四月頃、留学したいので退団しますというお話をしました。その時点では、つきたい先生がまだ決まっていなかったので、全くの見切り発車でした。僕は、毎年夏に和波先生の講習会でアシスタントをやらせて頂いているのですが、その年の講習会に、フライブルク音楽大学の元教授の方がいらして講義をして頂きました。その方とたまたまお話をする機会があったので「フライブルクにいい先生はいないのですか」と何気なく何の期待もなしに聞いてみると、「ああそういえばクスマウル先生がいるよ」と言われました。その時にはクスマウル先生がどのくらい凄い方か知らなかったので、軽く「そうなんですか」と言ったら、「僕は彼の友達だから彼に言っておいてあげるよ」という話になりました。後でクスマウル先生の事を調べてみると、以前ベルリンフィルで七年間コンマスをなさっていた方だということを知り、びっくりしました。クスマウル先生は、毎年日本に一、二回、演奏旅行でいらっしゃいます。たまたまその年の十一月にクスマウル先生が来日したので、ホテルに行って彼の前で弾きました。そして先生に「来年の九月からフライブルク音楽大学のあなたのクラスで勉強したい」というお話をしたら、「ぜひどうぞ」と仰ってくださいました。
 

Bad Ischlにて
Bad Ischlにて

―  とんとん拍子にお話が進んでいますね。

田島 悩んでいた頃や先生が見つからなかった期間は不安で不安で仕方なかったですね。当時、留学された方にお話を聞くと「留学する時はポンポンと話しが進むものだから何の心配もしなくていい」と仰っていましたが、本当にその通りになりました。ご縁があったということでしょうか。

―  先生の前で演奏して、学校としても了解という事ですか?

田島 入試はやはり受ける必要があって、学校としてはOKではありませんでした。ドイツの場合は、先生に面通しをして演奏を聞いて頂き、その先生が生徒をとる気があるか、そしてそのクラスに空きがあるかどうか、という事がまず一番重要です。先生が取るとなったらほぼ確実だと思います。後は、入試を受けてよほど変なことをしない限り大丈夫だろうということを聞きます。

―  先生が来て良いと仰ってからドイツに試験を受けに行かれたのですよね?

田島 はい。ドイツはだいたい年二回の入試があります。ゼメスター(学期)は、四月から七月までの夏ゼメスター、九月から二月までの冬ゼメスターと二回に分けられていて、入試は七月と二月にあります。それで僕は七月に入試を受けました。

―  フライブルク音大の場合、ドイツ語の規定は何かありますか?

田島 他の大学ではよく聞きますが、フライブルク音大はないみたいですね。

―  ドイツ語は、お勉強されて行かれましたか?

田島 高校の時から第二外国語をとらないといけなかったので、第二外国語としてドイツ語を七年間取っていました。全然まじめにやっていなかったので当初はほとんど話せませんでした。なんとなく数字が読める程度です。留学直後にドイツで最初の三ヶ月間、語学学校に行って勉強したのですが、全然だめですね。いまだに(笑)。それからは、忙しさにかまけて放っていたのですが、やはりドイツ語を話さないといけないなと思い、この九月から毎日語学学校に行きだして、昨日終わったばかりです。
 

ピアノトリオのメンバーと
ピアノトリオのメンバーと

―  語学が出来ないと大変ですか?

田島 大変というか毎日がつまらないですよね。語学ができなくても、フライブルクには日本人が結構いるし、僕の場合は桐朋の同級生や知り合いもチラホラいます。僕は、和声や理論など、普通の授業を受ける必要がなかったので、ドイツ語が必要なのはレッスン、オーケストラ、室内楽の時くらいです。つまり、ほとんど必要ない。もちろん生活のための最低限のドイツ語というのはありますが、それ以外は触れないようにすることも出来ます。ただそれではつまらないし、留学の意味もないですよね。例えば、学校外でオーケストラの仕事を頂いた時に、指揮者の言っている最低限の事は理解できるのですが、逆にこちらがパートリーダーとして指示を出す時に、一言二言の表現しか出来なくて、実際にこちらの考えが伝わっているかどうか、疑心暗鬼になる事もしばしばあります。また、練習以外の休憩中の談笑など、人間としてのコミュニケーションをしていく事が出来ないとつまらないですよね。コミュニケーションを取ることが人間として大事だと思いますし。

―  日本人が多いと仰っていましたが、外国人はどの程度いるのですか?

田島 韓国の方が一番多いです。ロシアや日本人も多いですね。スロベニアやポーランドなど、東ヨーロッパ出身の方も少なくありません。オーケストラの授業で、それは二十人くらいの小さな編成だったのですが、この中にドイツ人は何人いるのと聞いたら、二、三人しかいなかったですね。学校全体では、もちろんドイツ人が一番多いと思いますが、だいたい四割くらいだと思います。その次に、韓国人やロシア人が多いと思います。

―  学校の授業は週にどの程度あるのですか?

田島 僕の場合は、オーケストラとレッスンと室内楽だけでした。オーケストラは、一つのゼメスターに四〜五のプロジェクトがあり、一つのプロジェクトがリハーサルを含めて約一週間程度。そのプロジェクトを一ゼメスターにつき、最低二つはとらないといけないので、約二、三週間それにかかりっきりになります。それ以外は毎週基本的にレッスンに行っていました。更に、室内楽ではそのグループの都合に合わせて、リハーサルやレッスンがありました。
 

Wigmorehallにて
Wigmorehallにて

―  時間的にゆとりがありそうですね。

田島 相当ゆとりありますよね。暇といえば暇です(笑)。でもそれがいいというか、桐朋の七年間と札響の三年間はただただ突っ走ってきたので、この留学は自分を見つめ直すいい機会になりました。こちらに来てから、逆にたくさんの日本語の本を読んだりもしました。フライブルクは音楽的にもベルリンやパリ、ロンドンのように刺激的な演奏会が続く所ではないのですが、人間的な何かを取り戻すには良い環境です。僕は田舎出身なので本当に合っていると思います。同じ日本語の本を読む場合でも、日本にいた時に読む場合とでは心の中の響き方が違うし、日本語のかみしめ方が違います。また、じっくり料理を作る時間がある事は、こんなに素晴らしいのかと思います。他にも、外から冷静に日本を見る事ができる事、自分の生活を振り返ることができる事など、いろいろと本当に良かったですね。暇と感じる事もあるのですが、そんな生活も悪くないと思いますし、音楽の見方も変わってきますね。

―  音楽的にはどういうふうに変わっていかれたのですか?

田島 自然体になったのかな。これは他の方に当てはまるか分からないのですが、僕の場合は、ただただがむしゃらにやってきたので、音楽を味わう余裕があまりありませんでした。そういう意味で今は、一つの作品と向かい合う時間が出来たわけですからいいですよね。心のゆとりをもって作品と向き合うことは幸せだということを感じています。僕はモーツァルトやブラームスが好きなのですが、特にモーツァルトの感じ方が違います。何が変わったのかよく分かりませんが、もしかしたらドイツ語の持つリズムとモーツァルトの音楽がシンクロしたのかもしれない。例えば日本にいた時は、モーツァルトに限らず、こういうパターンの時はこう弾く、とある意味自分自身の狭い範疇でしか考えられなかった。でも最近は、こういう弾き方もいいけど、こういう方法もあるかもしれないなと、少しずつですが、いろいろな可能性を感じることができるようになってきたかもしれません。

―  ご自分の幅は広がっているのですね。

田島 まだそこまでは分からないです。ただ、可能性は一つではないなと思うようにはなってきています。例えばオーケストラで、弓の上げ下げを決める時に、日本での自分だったら「このパターンだったらこういう感じかな」と何となくやっていたところもありましたが、今はそうではなく「ここはこういう考え方だからこういう方法もある」というディスカッションが入るので大変です。「それじゃ試してみよう。」「これいいねぇ!」でも結局、「やっぱり元の弓の方がいいかな」となる事も多いのですが(笑)。外国の方が議論好きな事や、時間にゆとりがあるから出来る事なのですが、本当にそういう事の一つ一つが勉強になります。

―  ドイツでのレッスンと日本でのレッスンは違いますか?

田島 和波先生とクスマウル先生は違うタイプの先生です。僕は中学二年から和波先生について勉強してきました。それまで基礎的なことをほとんどやってこなかったので、ヴァイオリンの弾き方や音楽との接し方など一から和波先生に教えていただきました。和波先生には本当に細かくいろいろな事を習ったので、言葉を教わった感じです。基本的なクラッシックの語法を習い、その語法を持ってクスマウル先生のところに行ったのでドイツに来てもそれほど大きな違和感はありません。ただ、僕が未熟なせいか、和波先生のレッスンでは少しでも変な弾き方をするとそれは違うと指摘される事がありました。クスマウル先生の場合は逆に何でも許容するところがあります。自分の可能性について頭ごなしに否定しないで「なるほど、そうかもね。でもここは違うんじゃない」とか、「ここはこういうやり方もあるかもね」というレッスンです。もちろんこの違いは自分の段階によるものも大きいとは思います。クスマウル先生のところでは、基礎的なものはもちろんの事、レッスンごとに自分で研究した成果に対して、他にこういう弾き方もあるし、こういう表現もあるよ、という助言を頂いている、というレッスン内容ですね。

―  逆に言えば自分の考えがないといけないのでしょうね。

田島 そうですね。クスマウル先生は最初のオーディションの時点でそういう所まで見ていると思います。彼は基礎的なことを教えるタイプの先生ではなく、音楽を楽しみたいタイプの先生だと思うので、その生徒の音楽との接し方などもその時点で見ていられるのでははないでしょうか。

―  先生の所は今もレッスンに行かれているのですか?

田島 卒業してからまだ行っていないのですが、そろそろ連絡をとろうかな、と思っています。ただ基本的に、プライベートの生徒をとらないようなのでどうなるか分かりません。実は卒業した時に、もう二年勉強しようと思ってソリストコースを受験して落ちちゃったんですね(笑)。実質プーみたいになってしまいました(苦笑)。フライブルク音大では、例えば夏ゼメスターの場合、1480ユーロ、日本円だと24万円程度お金を払って、担当教師の許可が下りれば、入試なしにその先生のレッスンを受けられるという制度があるのですが、次の学期に再度ソリストコースを受験しようか、その制度を使って勉強を再開しようか迷っています。僕はピアノとのデュオが凄く好きで、まだまだやっていない名曲がたくさんあるので習えるうちにもっとやっておきたいと思っているのですが、お金の問題もあります。今、円安ですし、こちらで働きながらもう一回勉強出来ないか模索中です。
 

マヨルカでの演奏会にて
マヨルカでの演奏会にて

―  オーケストラに入るということですか?

田島 オーケストラに入ってしまうと時間が取られてしまうので、期間限定の仕事、例えばエキストラとして演奏しながら臨時収入を得て、自分の事が出来ないかと思っています。今度、初めてドイツのプロオケ、室内オーケストラにエキストラで出ることになりました。それをステップに何らかの形で広がっていけばいいなと願っています。

―  どういうきっかけでエキストラ出演をすることになったのですか?

田島 ドイツは、オペラハウスから普通のオーケストラまで少なくとも200以上のオーケストラがあるのですが、それらのオーケストラの空き情報を掲載している雑誌やインターネットサイトがあります。たまたまそれを見ていたら、フライブルク音楽大学のヴィオラの先生が指揮者をやっているオーケストラがあり、コンサートマスターの席が空いているとのことだったので応募してみようと思ってメールを書いてみました。すると既に席は埋まってしまったものの「試しに履歴書を送って下さい」とのことだったので履歴書を送りました。札響時代のコンマスというのが功を奏したのか「一月二日から仕事があるから来てくれないか」とのこと。本当ここ一週間の話です。

―  一日の練習時間はどの程度ですか?

田島 日によって違います。僕は朝型なのですが、学校に通っていた頃は、朝八時から十二時頃まで練習。そのあと、買い物をして家に帰ってご飯を食べてお昼寝。実は毎日15~30分ほど、お昼寝をしているんです(笑)。そうすると本当に頭がスッキリします。そうやって朝の睡眠時間を取り戻して、午後三時頃から六時頃までまた練習。

―  練習はお家ですか?

田島 午前中は大体学校で練習し、午後は家で行います。たまたま練習できる家だったので本当にラッキーでした。でもフライブルク音大では24時間練習できるんですよ。地下室があって、いつでもその学校の学生であれば入れる仕組みになっています。だから本当に最高の環境です。
 

韓国、中国の仲間たちとクインテット
韓国、中国の仲間たちとクインテット

―  そんな遅い時間に歩いても安全ですか?

田島 フライブルクは基本的にとても治安のいい所です。人もいいし、外国人に対してもとても親切です。町も非常に綺麗です。フライブルクは、環境都市と言われていて、町の中心部に車が入れないような仕組みになっています。聞いた話ですが、フライブルクに原子力発電所を作ろうという計画が昔あったのだけれど市民運動で跳ねのけたとか、風力発電が盛んだとか、僕はそれ以上知らないのですが、凄く環境に対してもいい町です。

―  ドイツの町はどこも綺麗ですが、そこまで力を入れていると本当に綺麗ですよね。

田島 たまに他の都市に行くと、少し恐いと感じることもあります。町自体もあまり綺麗ではないし、東に行くと失業率の問題もあってか、外国人に対して差別があったりするとも聞きます。フライブルクは経済的にもゆとりがある町なので、一度この街を知ってしまうとなかなか離れられないですね。よくいろいろな人に、このフライブルクがドイツだと思っちゃいけないよと言われます。僕は、ベルリンに行っても街自体にあまり魅力を感じません。刺激的なものはたくさんあるだろうけど。フライブルクは自然が適度にあり、フランスやスイスに近く、ドイツの中で日照時間も一番長いようです。自然の美しい所は人間もいいと思います。僕は長野で育って、今は実家が茨城にあるのですが、ここはそんな自分にうってつけな環境ですね。

―  留学先としてフライブルクはお勧めですか?

田島 人によると思いますね。ここはベルリン、ウィーン、パリ、ロンドン、あるいは東京のように、毎日のようにすばらしい芸術家が来て、ひっきりなしに演奏会が行われている、という環境ではないので、そういう観点から見ると、刺激を求めている若い人にとってフライブルクが良いかは、ちょっと分からないです。でもフライブルクには、人口18万ですが、オケは三つもあります。一つは放送局のオーケストラである、南西ドイツ放送交響楽団。それから劇場オーケストラである、フライブルク市立フィルハーモニー。そしてフライブルガーバロックオーケストラです。それぞれ個性のあるとてもいいオーケストラです。ここでは刺激的なものに振り回されないので、自分と向き合え、落ち着いて勉強ができます。人間的な生活や音楽を、ゆとりをもって勉強したいならフライブルクは凄くいいと思いますよ。
 

教会での合唱コンサート
教会での合唱コンサート

―  学校以外でのコンサートの機会はありますか?

田島 フライブルクには、アマチュアの合唱団が多いのですが、そんな合唱団にもランク分けがあって、それぞれのランクに合わせて市から助成金が出ているそうです。それらの合唱団の演奏会で必要な時には、弾かせて頂いています。それから、知り合いの教会音楽家の方からのお誘いで教会での演奏会の機会が増えましたね。自分自身はカトリックなのですが、こういう時に内なる喜びがあります。あとは和波先生のご紹介もあって、ハンガリー放送交響楽団とブラームスのコンチェルトをソロで弾かせて頂いたり、茨城の地元の知り合いがスペインのマジョルカ島にいらっしゃる関係で、その方にお招き頂いて、マジョルカ島で2回もリサイタルをやらせて頂きました。それからフライブルクにも日本ドイツ文化協会のような所があって、リサイタルをピアノと一緒にやらせて頂きました。

―  学校以外でもお忙しいですね。

田島 幸せなことにいろいろやらせて頂いています。僕は、なるべく多くの分野で活動していければ、と思っているので、すばらしい経験をたくさんさせて頂いていますね。

―  周りの人からいろいろなお話が来るのですね。

田島 僕は、本当にいつも周りの方から助けてもらっています。例えば、フライブルクは、家探しが非常に難しいらしいのですが、たまたま僕の先輩が僕と入れ違いに出るので、その後に入らせて頂きました。学校の手続きもその時にいた僕の同級生がものすごく手伝ってくれました。自分でやって一番大変だったのは、滞在許可申請をフライブルクの市役所で行う時や、家に電話を繋げたことです。本当に、今の生活は周りの人の助けなしにはありえません。フライブルクは、日本人同士の関係も良いです。近づきすぎず、遠すぎず、家族みたいな関係でみんな親切にやっていて、その親切な伝統がずっと続いている感じです。それぞれのペースを守りながら困った時には手を差し伸べあっています。まあこういうことは、本来当たり前の事かも知れないのですが。こちらにいると、例えば日本と同じ親切をされても、よりありがたく感じます。僕も今度はその伝統を受け継いでいきたいと強く思っています。特に、留学は、最初が一番大変で肝心です。

―  最初というのはどの位ですか?

田島 最初の一ヶ月くらいが特に大事だと思います。本当にまだ言葉も体も食にも慣れていない中で、役所に行ったりしないといけないので大変です。

―  ホームシックにかかる方も多いようですが、そんなことはなかったですか?

田島 ホームシックはないですね。でも最近出てきました(笑)。お金がかかるから日本には頻繁に帰れません。この間帰ったのは夏ですが、お正月には、おせちが食べられない、箱根駅伝が見られないとか(笑)。札響時代は舞台の上だったし、もう五、六年いわゆるお正月を堪能していないですね。

―  フライブルグの生活は、ひと月どのくらい生活費がかかりますか?

田島 物価は安いです。例えば、牛乳が一本で八十円程度。卵も百円前後。野菜も凄く安い。肉も安い。五百グラムで豚は二百円位です。外食は高いのでほとんどしないです。一ヶ月を家賃、電気、電話代を含めて頑張って五百〜六百ユーロで過ごしています。日本円にするとそれでも十万円弱になってしまいますから、決して安いとはいえないです。演奏会は、学生券で十ユーロ前後です。ウィーンは五ユーロで聞けたりするようですけど、日本みたいに三千円、四千円するわけではないのでいいと思います。
 

復活祭のミサにて
復活祭のミサにて

―  留学して良かったと事はありますか?

田島 自分を見つめ直すことが出来たことです。演奏会で良い演奏をして、いい拍手をもらう事はありがたい事に日本でもドイツでも味わうことが出来ました。もちろんその瞬間は幸せで、ドイツでも自分のやろうとしている音楽や語法が、ある程度喜んでもらえることも分かりました。ただ僕にとっては、表舞台で脚光を浴びることよりも、今はとりあえず自分と対話出来ることが本当に幸せなんです。自分の性格や今まで見えなかった自分も見えるようになってきました。今まで悩んできた事が一つの言葉になって出て来たりもしました。それに凄く苦労していることが楽しいです(笑)。札響に入っていきなりコンサートマスターをやらせて頂いたので、急にお金ががっぽり入って、もうお金の使い方が分かりませんでした。とりあえずお金を使おうと思っていつも外食をしていました。北海道だったので二週間に一回くらいは回転寿司を食べてタクシーに乗って帰りました。また、イギリスに演奏旅行をしたり、たくさんの人と触れ合えたり、経済的に不自由することは無かったのですが、どこか心がすさんでいました。別に仕事や音楽ということではなくて、自分の心が満たされませんでした。今は逆に明日食うお金も本当にない。このギャップがたまらないのですが、苦しくなると札響時代はお金もあったし、寿司も食べたし、日本酒もいつも飲めたということを思い出します。弱気になるほどあの時辞めなきゃ良かったとか、やっていれば何の苦労もなかったと考えるのですが、実際は、今の不自由な環境を心のどこかで望んでいたと思うのです。だから、いろいろな問題に直面して一つ一つそれを解いていく楽しみがあります。それが今は本当に嬉しいですね。いい事も悪い事もたくさんあって、それが一つ一つ心に刻まれていきます。ドイツにいると小さい喜びが大きい喜びに変わります。困難も大きいのですが、困難があるから次に進めると思います。乗り越えられない試練は無いと思いますし、困難や課題を与えて下さっているのでしょうね。その課題を一つ一つ乗り越えて、今、人間的な生活が出来ていると思います。日本だったら、僕は忙しいことでごまかしちゃうんですよね。だけどドイツでは、暇だし刺激がないから、ごまかせるようなものがない。だから逆によく考えられるし、自分と対話が出来ます。自己対話が出来る事がいかに幸せかと思っています。僕の人生があとどのくらいあるか分からないのですが、この時の苦労はちゃんと覚えておきたいし、この苦労はお金にはかえられないです。札響の時は、コンサートマスターとしての責任感や音楽的には凄く苦労しましたが、今は本当に自分自身に突きつけられた課題を一つ一つ丁寧にこなしていっています。また、僕は、どこに行っても周りの人が助けて下さるので、自分も手助けをできれば嬉しいし恩返しをしたいと思っています。演奏というかたちになるのかもしれませんが、ヨーロッパで活動したことをいつか日本に持って帰りたいと思っています。僕は、三十代、四十代には日本に帰りたいので、その時までにたくさん苦労をして、自分の出来る音楽で何か力になれるのならなりたいと思います。

―  ヨーロッパや日本でまたオーケストラに入りたいのでしょうか?

田島 どんどんすばらしい演奏家が出てきているので、簡単にいくとは思わないのですが、ご縁があればオーケストラに入れれば幸せだと思います。僕の強い希望としては、最終的に日本で何か還元できればと思っています。

―  今後留学する方にアドバイスはありますか?

田島 語学はやっておいたほうがいいと思います。人と心から打ち解けるためにはやはり言葉なんですよね。語学に対して全くなめていました。僕は、人間と人間のコミュニケーションとして誰とでもうち解ける自信があります。でも、それは日本語だったからという事だったんですね。その自信からドイツに行けば何とかなると思っていました。もちろん何とかなるのですが、それだけではつまらないですよね。本当に良い留学をしたいなら、語学は必要だと思います。ただ語学を勉強した方がいいというのではなく、「ああしたいな」「こういうふうになりたいな」「こう話したいな」「こういう話を聞きたいな」と頭に描きながら勉強すると凄く良いと思います。実際にいろいろ人種の方々がいて、コミュニケーションがとれると本当に面白いです。その人達と心から打ち解けたいなら語学は必要です。僕の場合は語学からずっと逃げてきていたので、語学が出来ないというコンプレックスもあります。だからシミュレーションをしておけばすっと入っていけると思います。僕が言うのも説得力が無いのですが、ドイツ語で「Viel Spaß!!(楽しんで!!)」という表現がありまして、 楽しんでいろいろなシチュエーションを思い描きながらドイツ語を勉強すればいいのではないでしょうか。

―  ありがとうございました。
 

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